2010年5月19日水曜日

その前に:制作について

(決定的な?)「拠り所」については核心部分ですので、
考えれば考える程、謎が深まってしまいます。。

まずは順(?)を追ってその壱(?)

僕はインターネットやファミリーコンピュータが誕生した1983年に、
一般的な中流家庭の次男として生まれ、国道沿いの大きくも小さくもない町で育ちました。
成果主義の勉強以外では、小学4年生から高校3年生の9年間ほぼサッカーだけをしていました。
そこでの感覚は大きなものとして、今でも心と頭に残っています。
自分があるルールの設定されているゲームの中でどのような役割をまかされており、
どのように振る舞うとゲームがどういう状況になるのかを
9年の間延々とトレーニングをしてきたともいえます。
その結果として思考回路をひとつの筋肉の様に鍛錬を積ませ、
それが良い意味でも悪い意味でも染み付いてしまい今の思考回路を形成しています。

そんな思考回路の持ち主なので、日常のあらゆる場面で自分の所在(ポジション)を探してしまいます。
所在が無いと思考停止状態に陥ってしまうからです。

制作においても、アーティストを演じているという意識があり、
「アーティストとしてどのような創造的スタンスをもちえることができるのか」という問題に
クリエイティビティの要点をおいているといえます。
その時に重要になるものが「役柄」であり、「拠り所」なのだと考えています。

個人のプロフィールや社会が常に複数の要素から構成されてるように、
制作における「拠り所」ももちろん複数存在しています。
その個々の「拠り所」は、常に更新され続け、
瞬間、瞬間においてそれらがかき集められ1つの「決定的な拠り所像」となり、
結果としての絵画を試みています。

2010年5月7日金曜日

はじめの話(大学生の頃):制作について

はじめはルールというより、削いでも削いでも削ぎきれない「何か」に興味があった記憶があります。
その物や事を構成するいくつかの要素のうち、
文字通りのかけがえのない部分・要素に好奇心や想像力をかき立てられたことを覚えています。

小さい頃に公園の砂場で「砂山を崩す遊び」をしたのを覚えています。
一人ずつ砂山を手で削っていく。
ゲームがエスカレートし、砂山が崩壊せずに砂山として在る極限の状態に限りなく近づき、
最後のターンで山は崩れ、砂山は砂へと戻っていきます。
この最後の子供は何か決定的な物を砂山から抜き取る事に成功したと考える事もできますし、
また、この子が手にした決定的な物が何なのかを解れば、
決定的なルールを駆使し砂山のバリエーションを作る事ができるのではないかと思ったのです。

もちろん、砂山として存在し得るその決定的なものは1つしか存在していないのではなく、
いくつかの集合であったり、もっと緩やかないくつかの関係であったり、
おそらくは多数の決定的なものが幾重にも折り重ねられて、
結果としての姿を形作られているのかもしれませんが。

アーティストは、ある意味で、砂場から砂山を作り上げるように、
素材を素材以上の物に転化していくことが要求されています。
この一線を超えていく為にはどうしたら良いのか。

僕自身、イメージが頭の中にあってそれを描き起こすことでその一線を超えていける人間では無かったので、
真っ白なキャンバスと向かい合った時に、どうしても方法論が必要だったのです。
さらにはその中で決断を下す際に何を拠り所にすれば良いのかも大きな問題でした。

一線を超える為の決定的な方法論と、
その中で決断する為の決定的な動機が必要だったのです。
それは同時に漠然としたアーティストに対する憧れからもはじまっていますが。。